2023年3月22日水曜日

特別寄稿 U15(吉岡コーチより)

卒業シーズンを迎えて居ますが、明日で現U15生も最後の活動となります。
激動の3年間を過ごした選手達でした。
スタートでいきなりコロナ禍の影響を受け、活動が始まったのはゴールデンウィーク明けだったと思います。
日本中が手探りの中、出来る事を模索しながらの活動でした。
TMが開始された時、いきなり関東リーグチームでした。
クマS、前ジュニ、古河、前F、アスミ、上州、そのリーグ戦に我々が飛び込みました。
光栄な経験でしたが、その結果は惨憺たるものです。
みんながビビる中、唯一平常心だったのがクマS出身のコーチだけでした。
この頃は知る由もありませんでしたか、この経験が失点の少ないチームに繋がったと思います。
3年間で何か誇れる結果は残りませんでしたが、歴代の公式戦で最も失点が少なかったチームです。
チームワークと言う部分で纏まりを欠く、柱になる誰かが居なかった、しかし、個の部分では強さを持っていました。
合宿も遠征も出来ず、それでも13大会は縮小で開催されました。
私が担当したのはこの大会まで。
強く思い出されるのは
19番の30分リフティング達成
7番の大宮FC戦3分で交代決意
30番を付けjrながら飛び回った10番
入団前の冬、明戸Gでコーンドリブルを繰り返した9番と11番
頼りない頑張り屋の6番

私から担当が代わり新年度に向け動き出した直後、担当コーチの離脱。
後を受けた学生コーチが良く繋ぎましたが、このチームは纏りが良く無かったのでは無く、つかまれる強固な棒が無かったのです。
この事は私にとっても痛恨の極みです。
タラレバを言っても全て言い訳ですが、何度か私が担当に戻ろうと悩みました。
しかし、現実は私にも次の担当があり不可能でした。
彼らに対しては、今でも自責の念を抱き続けています。

そんな不遇な彼らでしたが、クラブリーグではあと一歩の3位まで上がりました。
過去2番目の良い結果です。
ある日突然目覚めた6番
衝撃のToday、自己評価
あれらかチームに纏まろうとする何かが動き始めたと思います。
散々言ったけど、やはりこのチームキャプテンはセナで良かったんだよな。

U12も卒業ですが、ジュニアユースを持つチームですので特別な事は行いません。
先日の那須遠征が、記念旅行代わりになったでしょうか?
実際には別れて行く選手がいます。
しかし、上がって来る選手に基準を置きますので、他の少年団のようなイベントはありません。
賛否両論だったようてすが、ジュニアユース合宿に参加した選手の頑張りは称えます。
ご褒美のステーキは美味かったかな?
実際は参加してくても出来なかった選手もいたでしょう。
しかし、それを私は不公平とは考えません。
全員参加出来ないならやるべきで無い、その思考もありません。
我々は公平な部活動ではありません。
上を目指す為の下部組織、その位置付なのです。
不公平だったかどうかは、あの苦しみを味わった選手が知っているでしょう。

一人の選手が手紙をくれました。
指導者として最高の褒め言葉でした。
ほんの数回レベルでしか時間を持てませんでしたが、やはりあの濃密な合宿があったから私の影響も残ってくれたのでしょう。
私は別れの場面はいたってクールにします。
それは飛び立つ者に後ろを振り向かせ無いため。
前だけを向いて欲しいから。
我々の存在は、何時もと変わらぬ普段の中に存在すれば良い。
その為に、何時も通りにそこに存在し続ける責務がある。
君達が必要な時に帰れるように。

半年ぶりの投稿ですが、老兵は何処かで生きてるようです。
細々と。

新年度からは、更新頑張ります!笑

 長らく更新していませんでした・・・ 新年度からは、頑張って更新し色々発信して行きたいと思います。 さてさて、クラブ立ち上げ当初は、クラブ員数も少なく保護者の方々ともコミニケーションが取りやすかったのですが、さすがにカテゴリーも増え、クラブ員数も増えると全ての方々とコミニケーショ...